私がドイツに来るまで【4】シャコンヌ

自分のこと
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今回から高校生編です!地味回かも。

 

唯一あった写真


高校生以降の写真(携帯撮り)はPCに保存してあるのですが、

自分を映した写真が全然見つからない。

唯一あった写真がこちら。

大量のラブレターをもらってはしゃぐ私

 

・・・嘘です。

たしか誕生日のときに部活の部員が仕掛けたイタズラで、

大量のハート型の折り紙をもらいました。(中にメッセージ付き)

高校時代は本当に友人に恵まれていました。

 

高校進学


話が前後しますが、小学生時代から理科、数学にもけっこう興味があったみたいです。

テストの点数も良かった・・・はず。

小4の時、担任の先生から「君は研究者になった方がいい」と言われたのを

中学に入ってからもずっと意識していました。

そういう理由で、高校は家の近くの公立高校の理数科に入学しました。

(でも、音楽関係の高校のパンフレットも見ていたような・・・)

 

選んだ楽器


その高校にはギター部(新堀系のギター合奏)があり、迷わず入部しました。

入部時に

アルトギター、プライムギター(普通のギター)、

バスギター、ギタロン(コントラバスギター)

の主に4パートに分かれます。

 

そこで私が選んだのはギタロン

(ギタロン、ご存知ですか?カブトムシみたいな形の楽器です)

 

たまたま誰も選ぶ人がいなかったのと、

せっかくだから珍しい楽器を弾きたい、という理由でした。

 

そこで1年間、部活ではギタロン、家では普通のギターという日々を送ります。

 

編曲の楽しさ


ギター部は、モーツァルトやチャイコフスキーなどのクラシックの曲を

ギター合奏に編曲して演奏していましたが、

部員たちでポップスを編曲して演奏してもいました。

 

私も編曲してみたくなり、

取り組んだのはインディー・ジョーンズのテーマ曲「レイダース・マーチ」

 

吹奏楽のパート譜からギター合奏にする、というのは

当時の私にはかなり大変だったはず・・・

楽譜を読むいい練習になっていたのでは、と思います。

 

しかし、素人編曲で弾きづらかっただろうし、

合わせではメンバーにけっこうきつく当たってた気もするし、

迷惑かけたなぁ・・・と思っています。

 

その後も久石譲の曲やポップスの曲をいくつか編曲しました。

運指をつけて、弾けない場所を直して、練習メニューを立てて、指揮の練習をして・・・

忙しくも充実していました。

 

誕生日企画


当時、ギター部では誕生日企画と称して

部員にいろいろドッキリを仕掛けるのが流行っていました。

冒頭の写真も誕生日企画です。

 

その中でも印象に残っているのは

・ギターケースに数十本のうまい棒を詰める

・担任の先生に呼び出されて説教・・・かと思ったら誕生日企画だった(先生の全面協力で)

など・・・

 

こういうしょうもないことを本気で考えるのが高校生ですよね。

 



ソロで舞台に立ちたい


ギター部にT先輩というかなり弾ける人がいて、

定期演奏会ではジョビンの「フェリシダージ(ディアンス編)」

弾いていました。

 

ギター部に入ってからはとにかく合奏が楽しくて、

1年生の時はそれほどソロには取り組みませんでした。

しかし、T先輩の演奏を聴いて、「1年後にあの舞台で弾くぞ!」という

想いがふつふつと湧いてきました。

 

シャコンヌ


ギター部では卒業生の方がコーチ兼指揮者を務めていて、

ソロの曲もその方にレッスンしてもらっていました。

音楽理論の基礎もレッスンの中で教えていただいていました。

 

習い始めてから最初の本番は、

高校2年の文化祭。

詩的ワルツ集(グラナドス・福田進一編)を抜粋で弾いた記憶があります。

今でもよくレパートリーとして弾いている曲ですね。

 

それから、高2の10月にスペインギター音楽コンクールに出ています。

その時は残念ながら2次予選落ちでした。

2次予選の課題曲がどうしても思い出せない・・・

 

そして、高校3年、定期演奏会で弾いたのはJ.S.バッハのBWV1004のシャコンヌ

合奏の部活の演奏会で15分ソロを弾くとか

どんだけ弾きたがりなんだ・・・

動画あります!

動画の最後、私が立ったまま幕が下りていくのがなんかシュール(笑)

ちなみに「ブラボー!」って言ってくださった方とは今でも繋がりがあります。

 

今見返すと、

「当時は何も考えていなかったな」と思う半面、

「やっぱり根本は変わってないな、同じ人の演奏なんだな」とも思います・・・

 

シャコンヌはこれ以降なんとなく封印して、

未だに1回も弾いていません。

自分の中でちょっと特別な曲です。

 

風当たりが厳しくなってきた


私の通っていた高校は、校長先生が変わってから

露骨に進学校っぽい雰囲気になっていきました。

 

また、高校2年からの担任の先生はけっこう厳しい人で、

面談のたびに「ギターばっか弾いてないで勉強しろ」と言われていました。

 

成績は別に悪くはなかったものの、周りの雰囲気に押されて

ギターに触る時間はそれほど多くありませんでした。

模試とかも頻繁に受けさせられていたし・・・

 

でも結局ちょっとは弾いていたんですけどね。(笑)

 

父親について


父は私が高校に入った後、

7月に倒れて意識が無くなり、その数か月後に亡くなっています。

 

私が高校(理数科)に合格したときにすごい喜んでくれて、

「東大目指して頑張れ!」と言われました。

それが父の最後の言葉として、とても印象に残っています。

 

というのも、それ以降、

父は仕事が忙しく家にあまり帰ってこられなかったのです。

実際、倒れたのも、職場付近で・・・でした。

 

もっといろんなことを聞きたかったし、話したかった。

今の私を父に見せたら、どんな顔をするだろうか。

 

受験失敗?


高校3年の秋にもなると毎週のように模試や補習があって大変だったなぁ。

東大の理科Ⅰ類を半分記念受験みたいな感じで受験し、2次試験落ちしました。

で、後期試験で某地方国公立大学に合格したのでした。

 

まだまだ書くことありそうですが、高校生編終わりです。

続く



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伊藤 亘希(いとう こうき)

脱サラ系クラシックギタリスト、ドイツへ行く。

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