私がドイツに来るまで【5】ギター仲間との出会い①

自分のこと
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写真は19歳のころの私。

法事で北海道に行った際に、今は無き北斗星(寝台列車)に乗って

テンションが上がっている私です。

この頃の写真は少ないです。

 




 

さて、しばらく間が空いてしまいました、このシリーズ。

大学以降のギター界とのかかわり、そして大学生活について書きます。

ちょっと内輪な話になっちゃいますが・・・

 

 

坪川先生との再会


ギタリストの坪川真理子先生。

実は、中学生のころ、国語の先生の紹介で一度レッスンしていただいたことが

あります。

 

それから高校の頃は特に接点がありませんでしたが、

大学に入ってすぐ、やはり本格的にエチュード等からやり直したいと思い、

連絡をとって、定期的にレッスンに通うようになりました。

 

カルカッシ、ソル、ブローウェルのエチュード等を一通り勉強し、

その後は色々と好きな曲を持っていきました。

 

特に思い出深いのはエミリオ・プジョールの「3つの小品よりグアヒーラ」。

やっぱりスペイン物が好きだったんですね。

 

初めての発表会と打ち上げ


これも19歳だったと思う。

 

坪川先生とレオナルド・ブラーボ先生の合同発表会に初めて出たのは、

大学1年の秋だったかな?

そもそも発表会っていうものが初めて。

会場はGGサロン(現代ギター社のサロン)。

 

たしか弾いたのはJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータBWV1004のアルマンドとジーグ。

この頃はまだまったく緊張しませんでした(動画ありません)

 

 

そして打ち上げ(青山一品というGGサロンの近くの中華料理屋)へ。

ほぼ全員初対面なので人見知りの私には辛かった。。。

今となっては何を話したか覚えていないですが、

皆さん私よりはるかにギター歴が長くて、

「私は本当に何も知らないなぁ」って思ったような気がします。

 

そのときにお話しした方々は、

その後もいろんなコンサートで会ったりして(狭い世界なので)、

「ギター仲間、居心地いいなぁ!」と感じ始めたのでした。

 

 

一応真面目な大学生していました


大学(筑波大)1年目は理系だったので必修の単位が多く、

朝から夕方まで授業に出席していました。

しかも、家から大学まで電車で約2時間

1限に間に合うようにするためには朝6時台の電車に乗らなければなりませんでした。

 

学生寮に入るかも考えましたが、部屋がひどいという評判を聞いていたので・・・

気になる人は「筑波大 宿舎 五角形」で検索!

 

あと、いざ一人暮らしして楽器禁止だったら大変ですからね。

それが一番の理由です。

 


まだサークルに入ってなかったのもあり、大学ではほとんど友達もおらず、

大学生にありがちな「代返」「試験対策やレポートを友達とやる」「試験の過去問を先輩からもらう」

ということも全くやっていませんでした。

真面目っちゃあ真面目ですが、ただ授業に出ているだけな感じで。

もっと人と情報交換するべきだったなぁ。大学は利用してなんぼ、なのに。

 

思い出深いのは第二外国語で履修していたドイツ語

この頃からドイツに縁があったのか・・・

 

 

この時期は授業、レッスン、バイト(セブンイレブン)以外は特筆することのない日々です。

まだまだギター関係の知り合いは少ないまま・・・

しかし、コンクールに出始めることで変化が訪れます。

同世代の若手との出会いについてはまた次回!

 

続く



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伊藤 亘希(いとう こうき)

脱サラ系クラシックギタリスト、ドイツへ行く。

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